私が私であれる幸せ

10月12日の抱樸チャンネルで奥田知志さんが幸せについて語った言葉をTwitterで読み、はっと胸をつかれた。

「幸せっていうのは、苦痛を感じない快楽とかそういう話じゃなくて、私が私であれるということじゃないかなと思うんですよ。」

https://twitter.com/tomoshiokuda/status/1315619059426193408?s=21

私自身、どんな時に幸せと感じるだろう。例えば、美味しいものを食べたとき、美しい風景を見たとき、温泉に入ったとき、あぁ、幸せだと思う。

でも、奥田さんの言葉は、そういう物質的な幸せのもっと先にある心の有りようをものを表しているのではないか。

そんなことをつらつらと考えていたら、私はこれまで、幸せという言葉を眠いとかお腹空いたとかと同じくらいに簡単に扱っていたことに気づく。幸せとはどういうことか、もっときちんと考えなければいけないのではないか。

「私が私であれる」これを自分なりの言葉で表すと、「あるがままの己を感じて、それを許容する」ということなのかなと思う。

その状態に自らを置くことができるのは、どんな時だろう。それは、家族の中だったり、恋人や友人と過ごしている時だったり、人それぞれだろう。

それは、決して、高価な宝石を手に入れたとか、競争して何かを勝ち取ったとか、そういう行為で得られる満足感のようなものとは別次元のものなのだと、当たり前のことだが、今頃になって、その気づきを実感として手に入れた気がするのである。

音楽や美術といった芸術は、いかに人を引き込む力を持っているかというところにその価値があるように思う。芸術に触れるという行為は、それを通して自らの内部を覗き込み、心を映し出すということにほかならない。それは、衣食住の充足の次か、もしかしたら、同じくらいに、人が幸せを感じるためには大切なことなのではないだろうか。

非営利の活動で芸術文化を扱っていると、社会課題の解決という文脈で自らの活動を説明できないところに後ろめたさや申し訳なさを感じてしまうことがある。

でも、今回幸せについて改めて考えたことで、芸術文化は、ひとりひとりが「私が私であれる幸せ」を感じるために必要な装置のひとつなのだと、それは社会の中で大切にすべきものなのだと改めて自分の言葉で語ることができるようになった気がする。

10月12日20時〜奥田知志『夢をかなえるゾウ』水野敬也と語る「#社会活動は大変だけどおもしろい」はこちらからどうぞ →https://youtu.be/mRwfsUuTTOA

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

WordPress.com.

ページ先頭へ ↑

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。